2016.12.26 |  ニュース・特集 , 特集記事

奈良の待ち合わせ場所「行基像」について調べてみた 【特集】

今回、「奈良遊び」は奈良の有名待ち合わせ場所の絶対的王者として君臨される「行基像」について調べてみました。
まずは「えつ?行基像?」となっている方の為にズドーンと画像を出していきます。
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奈良では知らない人はいない程の有名像ですが「待ち合わせ場所として有名な像」としての権威を全国的に知らしめるべく、日本の中心である東京の有名待ち合わせ場所である忠犬ハチ公像との戦いは避けれません!!という事で

行基VSハチ公 開戦!!

これはもはや奈良県と東京都の戦いと言っても過言ではないでしょう!雌雄を決していきたいと思います。

敵は日本の首都!東京

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挑むは古都奈良

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はたして我らが愛する奈良は花の都東京に勝てるのでしょうか?

1日に訪れる人の数

まず、行基像のある「近鉄奈良駅」の1日あたりの訪れる人数は54,000人。そして、ハチ公像のある「渋谷駅」の1日あたりの訪れる人数は370,000人

 

、、、、、

 

!!!

 

これが圧倒的「都会力」なのでしょうか?桁が違うではないですか?約7倍、、、いきなり勝負が決まりかけましたが、、、しかし!!!世界で一番利用者数が多い「新宿駅」の3,600,000人と比べると、渋谷も近鉄奈良も大した差ではない事が分かりました!つまり

訪問数はほぼ互角

なるほど、、、初戦は互角でしたか。我々「奈良遊び」は自称非公式の奈良スポンサーですがこの勝負の判定はあくまで公平にしております!

しかし最も重要なのは象になった人物(犬も含みます)それぞれについて掘り下げていきます。

行基とは

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奈良時代の日本の僧。寺と僧侶を国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。そして行基集団を形成し、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、困窮者のための布施屋9所等の設立など数々の社会事業を各地で成し遂げた。朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。
引用元:Wikipedia(ウィキペディア)

これで決まりではないでしょうか?どれだけ凄い犬だとしても高僧に勝つことはできないでしょう。

忠犬ハチ公とは

JR

ハチは飼い主が死亡した後も駅前で10年間帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる。ハチの飼い主は大学教授・上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出かけるときには渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。
引用元:Wikipedia(ウィキペディア)

感動を隠すことができません、、、涙で前が見えないのも事実です。正直、たかが犬だと思いなめておりましたが立派です!甲乙つけ難いですが公平な立場でジャッジをさせて頂きたいと思います。

、、、、、

 

結果は!!!

 

、、、、、

 

像になる人はだいたい凄い

我々はまた一歩 高みに近づいたに違いありません。

まとめ

そもそも待ち合わせ場所のシンボルなどで競うものはないです。行基も忠犬ハチ公も生存してる時に偉業を成し遂げ、没した今でさえ我々に待ち合わせの場所として導いてくれているのです!、、、バシッとまとめたくてイイ感じの言葉を並べましたが内容がペラペラになりそうなので、最後にひとつだけ

行基もハチ公も好きになりました!

以上でまとめは終了となります。